狭山市内には、いろいろの行事がたくさんあることが『狭山市史民俗編』に記されてある。その行事の一つ一つは、その地域の歴史を物語るもので、地区にとって大切な宝である。
 昔は山から湧き出る水の流れで顔を洗い、太陽を拝み、鎮守さまを遙拝するといった気風の人が多かった。昔の人は神を敬い、神を頼る生活であった。五穀豊穣を神に祈って暮しの豊かになることを願い、家内安全を祈って、家族の幸せを願ったようである。また魔による不幸せを防ぐために、魔よけの方法も工夫されている。
 先人は、神に願いする時の作法やこれに供えるもの、また神にお礼を申しあげる時の作法や供えもの、魔よけの方法などを、いろいろ考え創り出されたと思う。この作法や方法が、ながい間に伝えられ、受けつがれ、育てられて、今の行事になったのではあるまいか。創り出された先人の苦心、これを受けつぎ育てた先祖の努力、これを考えると行事は先祖の遺産であって、またその地域の無形文化財とも言うものである。地域の歴史を語る大切な財産でもある。
 行事や行事食を考えると、現代の社会に大切な人間関係仲間づくりが、行事を通して育てられていること、物を大切にするという、手堅い生活ぶりもうかがえるのである。
 狭山市は昭和29年に、農業を主にした市として誕生した。人口は3万1千人余であった。狭山市は東京に近いため、住宅地としての様相をもちはじめた。また工業団地が造成され、大工場の進出もあって、農業の市から工業都市へと発展していった。狭山市に移り住む人も多く、人口は5倍近くになりつつある。新しく住む人が多くなるにつれて、社会環境が複雑になってきて、生活の合理化とか、簡素な生活設計とかが言われるようになった。
 このように生活の態度が簡素のみを主にしてくると、まわりで行われる行事とか、行事食は関わりのないこととして、無視されたり、廃止へ追いこまれるような気配さえうかがえるこの頃である。先祖が受けつぎ育てた文化財ともいえる行事を大切にし、守りつづけることが、現代の人に課せられた務めではあるまいか。迷信とか、愚であるなどと、一笑にふすべきものではあるまいと思う。
 今の食事は昔とちがい、毎日の食べものが昔のご馳走に勝るくらいである。手をかけずに食卓にのせられる食品の数は多く、これを利用する家庭も多い。これらの食品には心がしみていないという。行事に伴う食事は、家族の手によって、真心をこめて作られていることに、大切な意義があるのではないだろうか。
 この冊子は、行事や行事食を大切にして、次代に伝えたいということ、新しく市民となった人に、狭山の良さを知ってもらい、子どもを、ふるさと狭山を大切にする人に育ててもらうことを願って記したものである。